鋏B

274 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:21:15 ID:B6d5URPx0
音響はそれには答えず、「シッ。ちょっと待って」と動きを止める。
溜息をついてオレンジジュースに手を伸ばしかけた時、なにか嫌な感じのする空気
の塊が背中のすぐ後ろを通り過ぎたような気がした。未分化の、まだ気配にもなっ
ていないような濃密な空気が。
周囲には、明るい店内で夜更かしをしている若者たちの声が何ごともなく飛び交っ
ている。
その只中で身を固まらせている俺は、同じように表情を強張らせている隣の少女に、
言葉にし難い仲間意識のようなものを感じていた。
嫌な感じが去ったあと、やがて深く息を吐き彼女は「とにかく」と言った。
「私は赤いハサミを鋏様に供えて、名前を3べん唱えた」
目を伏せたまま、長い睫がかすかに震えている。
「誰の」
聞き様によっては下世話な問いだったかも知れないが、他意は無く反射的にそう聞
いたのだった。
「私の」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中の理性的な部分が首をかしげ―― 首をかしげたま
ま、目に見えない別の世界に通じているドアがわずかに開くような、どこか懐かし
い感覚に襲われた気がした。
「なぜ」
「だって、何が起こるのか、知りたかったから」
ああ。
彼女もまた、暗い淵に立っている。
そう思った。
「で、何が起こった」
俺の言葉に、消え入りそうな声が帰ってきた。
ハサミの音が聞こえる……


282 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:46:51 ID:B6d5URPx0
「ちょっと待った。ハサミってのは、失恋で髪を切る羽目になるっていう比喩じゃ
 ないのか」
「わからない」
彼女は頭を振った。
「だって、いま好きな男なんていないし。失恋しようがないじゃない」
その言葉が真実なのか判断がつかなかったが、俺は続けて問いかけた。
「そのクラスの仲間に名前を唱えられた女の中で、実際に髪を切った、もしくは
 《切られた》やつはいるか」
「知らない。ホントに振られたコがいるって話は聞いたけど、髪の毛切ったかどう
 かまでは分からない」
「その、鋏様の所に置いてきたハサミはどうした」
「……ほんとは見にいっちゃいけないってことになってるんだけど、おとといもう
 一度行ってみたら……」
無くなってた。
音響は抑揚の薄い声を顰めると、「どうしたらいいと思う?」と続け、顔を上げた。
「その前にもう少し教えて欲しい。ハサミは一個も無かった? 自分のじゃない
 やつも?」
頷くのを見て、腑に落ちない気持ちになる。
「おまじないの儀式としては、ハサミは供えっぱなしで取りに戻っちゃいけないって
 ことじゃないのか? だったら、どうして前の人が置いたはずのハサミが無いんだ」
願いが叶ったら取りに戻るという話になっているのかと聞いても、違うという。誰か
が地蔵の手入れをしてるような様子はあったか、と聞いたが、完全に打ち捨てられ
ているような場所で、雑草はボウボウ、花の一つも飾られていない、人から忘れ去
られているような状態だというのだ。


284 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:49:56 ID:B6d5URPx0
何かおかしい。
なにより、今さっき感じた嫌な空気の流れが、事態の不可解さを強めている。
「なあ、その鋏様っていうおまじまいは、昔からあるのかな。先輩から語り継がれ
 た噂とか」
「わからない。たぶんそうじゃないかな」
「だったら、噂が伝わる途中でその内容がズレて来てるってことはありうるね。元は
 少し違うおまじないだったのかも知れない。例えば」
言うまいか迷って、やっぱり言った。
「ハサミを供えて、死んで欲しい子の名前を3回唱えれば……」
ガタンと丸い椅子が鳴り、頬に熱い感触が走った。
「あ」
と言って、音響は立ったまま自分の右手を見つめる。
平手だった。
「ごめんなさい」
そう言ってうつむく姿を見てしまうと、頬の痛みなどもはやどうでもよく、怯えて
いる少女をわざわざ怖がらせるようなことを言った自分の大人気なさに腹立ちを覚
えるのだった。
「わかった。なんとかする」
安請け合いとは思わなかった。司書をしているオカルト好きの先輩に泣きつく前に、
自分の力でなんとかできるんじゃないかという算段がすでに頭の中に出来上がりつ
つあったのだ。
「とりあえず、その鋏様の場所を教えてくれ」
頷くと、音響はバッグから可愛らしいデザインのノートを取り出して、地図を描き
始めた。
案内する気はないようだった。得体の知れないものに怯えている今は、それも仕方
がないのかも知れない。


288 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:52:52 ID:B6d5URPx0
山への上り口までは簡単だが、地蔵のある場所までが分かりにくいはずだった。と
ころが、途中の目立つ木のいくつかに印がしてあるのだという。誰がつけたのかは
分からないそうだが、過去から現在において秘密を共有している女子生徒たちのい
ずれかなのだろう。
「でもあんまり期待すんなよ」
音響は神妙に頷いた。
「でもどうして俺なんだ」
「さっき言った」
「2年も前のことを今更思い出したのか」
「……」
彼女はペンを止め、それを指の上でくるくると器用に回す。
「あのくだらないサークルにひとり、ホンモノがいるって聞いてた。倉野木っていう
 のが、あなたじゃないの」
俺は思わず肩を揺すって笑った。
人違いだ、と言うと不審げに首をかしげていたが、まあいいわとペンを握りなおした。
地図が出来上がると彼女はノートのページを破り取り、俺に差し出した。
右上に、小さく携帯電話の番号が書かれている。
「助けてくれたら、メチャ可愛い友だちを紹介してあげる」
生意気なことを言うので、「お前でも十分カワイイぞ」とうそぶいて反応を見たが、
憎らしいことに平然としている。
「じゃあ」と言って席を立つ彼女へ、とっさに声を掛けた。
「3つの地蔵のうち、どれが鋏様なんだ」
立ち止まって半身でこちらをじっと見ている。
「いいだろう? 秘密を教えておまじないの効果が消えたって。むしろそれで解決じ
 ゃないか」



295 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:56:56 ID:B6d5URPx0
迷うような素振りを一瞬見せたあと、音響は囁くような声でこう言った。
「みぎはし」
そして向き直ると逃げるような早足で店の自動ドアから出て行った。
暗闇に溶けていくように消えたその姿をしばらく目で追っていたが、やがてテーブル
の上のふたつのグラスと破られたコースターの残骸に視線が落ちる。
その欠片を手に取って、なんとはなしに眺めていると不思議なことに気がついた。
指で裂かれた白いコースターは、その裂け目に紙の繊維がほつれたような跡が残っ
ている。ところがその破片のうち、いくつかの断片に綺麗に切り取られたような痕
跡が見つかった。
まるで鋭利な刃物で裁断されたような跡が。
さっきのコースターを裂いた、まるで夢遊病のような彼女の行動が、これを隠すため
だったかのような気がしてくる。
渡されたノートのページを光にかざすと、彼女の描いた赤いハサミのイラストが、
やけに禍々しく見えた。

二日後、俺は懐中電灯を片手に真夜中の山中を歩いていた。
バイトも休みだったので昼間のうちに下見をするつもりだったのだが、暇つぶしの
つもりで入ったパチンコ屋で高設定のパチスロ台に座ってしまったらしく止めるに
止められなくなり、まあいいやなんとかなるだろうと、これまで犯してきた学生と
しての過ちから全く何も学んでいないような頭の悪い判断をして、夜に至ってしま
っていたのだ。
もう出始めた蚊にイライラしながらも、ポケットに忍ばせたノートの切れ端の地図
を何度も確認しつつソロソロと歩を進めた。

298 鋏  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/08/22(水) 23:58:58 ID:B6d5URPx0
街から少し離れただけなのに、まるで別世界のような気味の悪さだ。
すでに人の世界ではない。
ほんとすいません、と一体何にあやまっているのか自分でも分からないまま頭の中で
繰り返している。
ガサガサと草むらが音を立てるたび、うそだろと思い、山鳩の泣き声がどこからと
もなく響くとまるで自分が通ることへの合図のような被害妄想に駆られて、たのむ
から見逃してくれと思うのだった。
まったく、格好をつける必要がどこにあったのだろうか。
自分のバカさ加減にうんざりする。
懐中電灯の白い光が大きな木の中腹に刻み付けられた矢印を照らし出し、確実に目
的地に近づいていることが分かる。
また山鳩の声がホウホウと聞こえ、同時にかすかな羽ばたきを耳にした。
湿気を含んだ濃密な空気に胸が詰まりそうになる。
思えばこうしてひとりで真夜中に心霊スポットに行くなんて、ほとんどないこと
だ。たいてい、くだんのオカルト道の師匠と一緒だった。彼はその心霊スポットの
本来のスペック以上のものを引き出す実に迷惑な存在だったが、その背中を追いかけ
ているだけで俺は暗闇に足を踏み出すことができた。怖いものだらけだった。けれど
怖いものなんてなかった。
ザザザザザ……
不吉な音とともに風が草を薙いだ。
後ろは振り返りたくない。自然、足早になる。
こういう足元がよく見えない場所で、俺が思うのは小さなころから同じ。誰かに足を
掴まれたらどうしよう、という妄想だった。
風呂場で髪を洗っているときに目をつぶるのが恐ろしいように、人間は目に見えない
空間を恐れている。
鋏Cへ続く
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